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手をつなごう!(乳がん体験記)

オフ会を開催したいのですが、、、。

みなさん、こんにちは!いかがお過ごしですか?

乳がんの闘病を体験したことで、たくさんの出会いがありました。精神的にすごく支えていただきました。今も皆さんに甘えている私ですが、ここで1つ、と、勇気をふりしぼってこれを書いています。


もし、ご都合がよろしければ、楽しくおしゃべりをしませんか?


7月の中旬ごろを予定しています。
神奈川県内で開催しようかと思っています。

興味をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひコメントをいただけると私の励みになります


ご参加希望の方はコメント欄にメールアドレスとお名前記入の上、「管理者にだけ表示を許可する 」にチェックして送信してくださいませ(折り返しこちらからご連絡いたします。すでに参加メールいただいている方はコメントは不要でございます)。



どうぞ、よろしくお願いいたします




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納豆が大好きです!

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皆さん、おはようございます!今朝は私の毎朝必ず食べる朝食をご披露?します(笑


納豆・アジの干物・玉ねぎのお味噌汁(主人が大好き)雑考入りの白米・韃靼そば茶

本当は『玄米』が良いのでしょうけど、主人が嫌がるので雑穀を混ぜています。

韃靼そば茶はピアノのお稽古仲間のママさんから頂いて、嬉しくて飲んでいます。

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とっても美味しかった!!

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昨日、ピアノのお稽古仲間のお一人からいただいた「シフォンケーキ」
お菓子作りの先生をしていらっしゃる素敵なママさんです

本当に美味しかった!!  ありがとうございます



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行きはヨイヨイ帰りは、、、、。

お正月にいつもと同じことが出来る喜びで気持ちはハイ・テンション 新年会と証する食事会を終えて新宿の京王プラザホテルから歩いてヨドバシカメラに3人で歩いた。そこまでは本当に元気だった。

ところが、急に具合が悪くなった!呼吸が荒く、足も痛くなって一歩が出ない。主人の趣味のカメラをウインドウショッピングだけでも付き合ってあげたかったのだけれど、とにかく苦しくて、全身がだるくて、しゃがみ込んでしまった。

歩行者の邪魔にならないように母に手を借りてガードレールによりかかった。


冷静に考えたらこの時期は白血球の数値が下がり始める頃だった。おそらく気分があまりにもアゲアゲだったので忘れていたのだ。真鶴まで帰る自信が無くなってしまい、思わず「実家に帰る…」と母と主人を困らせた。

アンディーが待っているという大切なことが頭から消えてしまった。(アン君ごめんね~


少し休もうということで、新宿駅の地下にある喫茶店に入った。そこで呼吸が落ち着いたので、30分くらいして元気が戻った。ゆっくり歩いて小田急線のロマンスカーに乗り込み、無事に真鶴に帰れた。

「あの元気は一体どこから湧き出たもの?」 吐き気も無く、普通に歩けて普通に食事が出来たことの方が奇跡のように感じて「神様、ありがとうございます!」と思った。



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月に1度の特殊浴場!

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一昨日アンディーは小田原のトリミングサロンに行ってシャンプー(アロエの香り)・爪きり・お耳のお掃除・肛門腺しぼり・おヒゲカット等を美人なおねいさまに囲まれて、幸せ~な時間を過ごしました!ここのお店は来月の予約をすると500円サービスしてくれて、このようにカレンダーを作ってくださいます。

アン君はこのお店が大好きで、自分でドアを開けようと、鼻でツンツンとドアを押すんですよ
美人で優しいおねいさんが「アン君こんにちは~!」とか言ってくれると鼻の下をのばしやがるんです、、、、。いや、マジで!

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実家に行ってきました!

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皆さん、こんばんは!今日は久しぶりに東京の母に甘えに行って、実家のピアノちゃんにもたくさん触れてきました。

母は水彩画とパステルを習っていて、先週教室で描いてきた、と言って部屋に飾ってありました。
上手だなあ~と思いました。いかがですか?77歳の母はコーラスもず~っと続けていて、多才な女性なんです。なぜ私はDNAを受け継がなかった?似ているのは「明るい性格」これ1つです(笑)

今日は主人は寿司定食、私はうな重をご馳走してもらいました。だから、持ち上げておかないと、、、。うそです。

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抗がん剤CEF2回目の副作用

クリスマス・イブにプレゼントされた抗がん剤は1回目の副作用よりは吐き気が少なかった。少ないのは「イメンド」のお陰だと思う。

何と翌朝には大好きな納豆ごはんを食べることが出来たこれが、とっても嬉しかったのだ。1回目の投与では考えられなかった。『普通のことができる』ことがこんなに「幸せ」だったのか!


食べ物の臭いにむかつく事も少なくなって、37.5度以上の発熱も無かった。味覚障害は相変わらずだったけれど、だんだん慣れてくる。人間って不思議。状況に応じて生きることを少し学んだ気がする。


「食べる」ことができると体力も1回目の時よりはあったので、年末にカツラの調節をしてもらいに美容室に行き、翌日の元旦にはロマンスカーに乗って新宿までカツラをつけてお出かけができた

>毎年母と主人と3人で京王プラザホテルのイタリアンレストランで新年会と称して食事をするのが恒例となっている。今年は無理かな、と思っていたのが、元気に新宿まで行けたのが母にも喜んでもらえて嬉しかった。

出されたお料理を残さず食べることが出来た。「カツラ、ずれてない?おかしくない?カツラだってバレる?」と母と主人に何度も確認した。副作用よりもカツラに気をとられていた。

それでも、とっても幸せだった。



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額縁に入れました!

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以前、ブログ友達のポンチャンにプレゼントしていただいて、ようやく今日可愛い額縁が見つかって、玄関に飾ることができました

改めて、ポンチャン、ありがとう大切にするね!!




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DAIGOさんに会えました!

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皆さん、こんにちは!今日はアンディーのシャンプーをしてもらいに、小田原まで連れていきました。シャンプーが終わるまで、ランチでも、と向かった先で、ダイゴ君の新曲イベントを偶然開催していて、瞬間だったけど目の前を爽やかな微笑みを浮かべて歩いてステージに立たれました

かっこ良かったです



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目からウロコ!

乳がんだと自覚した瞬間から私の心はもちろん、主人も毎日がドンヨリしていた。おおげさに表現すると、「笑っちゃいけない」ような気持ち。

それでも病院にいる時や人に会う時は自然に笑顔ができるのでけど、部屋にいる時はほっぺたが引きつっていた。

2回目の抗がん剤投与が終わって点滴ルームを出て主人と廊下を歩いていると1回目の時にお世話になった看護師さんが向こうから歩いてきて、手を握ってくれて次の言葉を言われた。

「良いお年をお迎えください

この一言で、目の前に光がパー!っと射した。「ああ、私、普通にお正月を迎えて良いんだ!何にも変わっていないんだ!病気ってだけで、面白いことがあれば笑って良いんだ!」そう思えた。正に『目からウロコ』 

さりげない年末のご挨拶が本当にありがたかった。この日から私の中の「雲」が晴れていった。主人も同様、笑顔が戻った。



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クリスマスプレゼントが抗がん剤!

白血球の数値が上がってきたのか、痛い思いをして注射に耐えたご褒美か、発熱も無く(とは言え常に微熱が続いた。)食欲が戻ってきた。

しかし副作用の1つである「味覚異常」と「口内炎」が邪魔をして、思ったようには食べられなかった。とにかく味の濃いものを少しずつ口の中に入れていた。「味噌ラーメン」「餃子」美味しいと感じるのはこの2つ。

偶然にも12月24日が2回目の抗がん剤投与で『クリスマスプレゼント』だと思って気持ちを明るくして病院に行ったことを思い出す、、、。

そう言えば、前日に「明日はまた気持ち悪くなるからイブイブの今日、贅沢してピザーラを頼みたい!ついでにパエリアも」と主人にわがままを言った。

「明日からまた頑張るよ!」そうして平成22年のクリスマスを迎えた。


血液検査の結果、白血球の数値は8,000まで上がっていた。予定通りCEF2回目を投与できることになった。

主治医のI先生に「すんごく吐いたの、、、。」というと、前回とは違う吐き気止めのお薬を処方してくれた。
その他の副作用についても報告をした。先生はカルテに書いてくれていた。

「今日もよろしくお願いします!」と言うと「はい。。頑張ろうね。点滴ルームで待っていてね。」と励ましてくれた。


点滴ルームに入ると前回とは違った顔ぶれの看護師さんが私の準備をしてくれた。新しい吐き気止めのカプセルを1つ飲むように紙コップにお水をいれて渡された。

高価なお薬で有名な「イメンドカプセルセット」。これが私には良く効いてくれた。


投与を終えて数時間後にはまた吐き気が強くなったけれど、「おえ~っ」とはなっても何も出ない。食べるのが怖くなくなったのだ。気持ちも1回目より楽になった。

カプセルは3日間1粒飲む。これが効かない患者さんもいるようで、本当に助かった!と思った。




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あまりに珍しい空だったんです。

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皆さん、おはようございます! 昨日の午後6時5分くらいの真鶴の空です。
アン君のお散歩に出かけようとドアを開けたら夕日に色づけされたような、不思議な風景でした。台風が残していった雲ですね。

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とっても重かったです!!

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今日は台風の後でまだ風も強かったけれど、買い物ついでにドライブしてきました。伊東の「道の駅」にある『ばんばん食堂』さんのエビフライ定職1,280円 実は海老がだ~い好き
ここには写っていないんですけど、ひじきの煮物もと冷やっこも付いていて、すんごくプリプリしていて美味しかったです!

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主人の診察に行きました。

皆さん、こんばんは!いつも私のブログを読んで下さり本当にありがとうございます!

今日は主人の月に1度の診察日で、久しぶりに熱海の病院に一緒にいってきました。横浜までの通勤はまだちょっとキツイだろうということで、7月もリハビリを自宅で続けてみようと言われ、特に歩くことを勧められたようです。

お天気の良い日には二人でちょっと長くお散歩してみようと思っています。最近のアン君は10分くらいでお散歩を済ませてしまうので、別口で「ウォーキング」タイムを設定しないと主人のリハビリにはならないですね。

私の運動にもなるので、この台風が去ってくれたら早速「ウォーキング」を始めよう

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帽子で保護、、、。

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風が強い日や都会にお出かけする時には帽子もかぶっていた。これがまた、汗がダラダラで、むれる、、、、。

両面テープやガムテープで固定してらうのでけど、汗でそれが剥がれてしまう。

結局数回しかこのカツラは使用しなかった。ほとんど帽子で外出風が強い時や都会におでかけの時はカツラがずれてもゴマカシがきくかな、と思って帽子をかぶっていた。



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脱毛が始まった。

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1回目のCEF投与から10日目くらいから頭皮がかゆくなった。「朝、起きたら枕に髪の毛がたくさん落ちていて、、、」というドラマでよく観られるような現象は現れなかったけれど、かゆいのが治まる頃、抗がん剤投与から12日目くらいに主人が出勤する直前に玄関で気がついて悲しげに教えてくれた。

「始まってるね…ここが…もう頭皮が見えてるよ。」
「えっほんとに?」と言って手のひらで髪の毛を優しくなでてみると、ごそっと抜けた。

覚悟はしていたけれど、ものすごい喪失感が襲ってきて涙が止まらなかった。

主人を玄関で見送る時「また生えてくるからね。無理して抜かなくて良いよ。」となぐさめてくれた。

しかし抜け始めたら止まらない。ゴミ箱に頭を入れながら髪の毛を捨てた。「抜く」んじゃなくて「捨てる」作業。とても辛かった、、、、。腕が痛くなったけれど、お昼も食べずにこの作業を続けた。

あっという間に「落ち武者」。夜には7割くらいの髪の毛が無くなっていた。ゴミ箱がいっぱいになった、、、。

この写真は母がプレゼントしてくれた「医療用カツラ」を美容院で調節してもらって完成したので、着けてみた時の1枚で、この感動は忘れない。まるで元気だった頃の自分に戻れたような機がして、とっても嬉しかった。

しかし90,000円のお値段!!母には本当に頭の下がる思いだ、、、。

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吐き気以外の副作用について。

1回目の抗がん剤投与の際に主治医のI先生は「37.5度以上の夏が3日間連続していたら、すぐに病院に連絡してね。」と発熱を特に注意された。

吐き気や味覚異常は「しのいでもらうしか無いんだよね…」というアドバイスだったけれど、抗がん剤は健康な細胞にも打撃を与えるものだ、という話を体感した数日を過ごした。

とは言うものの、先生はその「打撃」に対応すべく、たくさんの飲み薬を処方してくれたので、指示された通りに頑張って飲んだ。なにせ1回に8粒飲む薬があって、吐き気があるので「薬を飲む」行為もつらいのだ。

それでも先生を信じると決めたのだから、裏切ってはいけない!そう思って飲んだ。


やはり37.5度以上の発熱が2日間続いた。3日目に37.2度になったので病院に連絡しないで済んだ。(セーフ!)
なぜ発熱に注意しなければならないのか。複数の理由がある。

免疫力が低下するので、普段ならへっちゃらな「風邪」も命取りになりかねないことや、肺炎なども発症しやすい。医師によって基準とする熱は違うようだけれど、私の主治医の先生は37.5度とされていた。

幸い4回のCEF投与の中で病院に駆け込む程の発熱は続かなかった。

また、抗がん剤投与から10日くらいから白血球の数値がガクン!と低下する。私の場合1回目の投与で2週間後の血液検査で900という数値だった。


この頃になると、歩くのも息切れがしたり、口内炎がたくさんできて、吐き気が治まっても食事がつらかったりした。口の中が痛くて涙がちょちょぎれる、、、。

この血液検査の結果次第で白血球を増やすための皮下注射を打ってもらうことになる。(これがまた痛い!逃げ腰で3歳児になって頑張った。)白血球の数値が上がらないと2回目の抗がん剤投与ができない。

この皮下注射を打った日の夜がとても苦しい。全身が痛くなって「う~っ!」とうなってしまた。とても怖かった。

39.4度まで熱が上がり、特に肺のあたりの痛みが強くて不安になった。一晩うなっていると苦しみも減ってきて熱も下がった。

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抗がん剤の副作用 (CEF1回目)

平成22年12月3日に抗がん剤投与を受け、その日の夕方から何回吐いただろう、、、、、。その度に携帯のカレンダーに吐いた時の時間を記録しておいた。翌日の朝方5時くらいまで30分おきに吐いていた。

胃の中に何もないけれど、吐きたくて仕方が無い。これがまた苦しいもので、全身が筋肉痛のように痛くてだるくなる。


アン君の朝のお散歩を主人に行ってもらって冷蔵庫のミネラルウォーターを1口飲むと、「まずい!昨日までのお水の味がしない!!」副作用の1つである『味覚異常』が出始めたのか…。ほうじ茶をのんでみると気持ち悪さが増す。

そんなことをしていると、電話が鳴った。パート仲間のNさんが、コンソメスープを届けたいと言うのでビックリそして感激した。

10分もしないうちに届けてくれて、私をギュッと抱きしめてくれた。「何にもしてあげられないけど、応援しているからね!また来るね。」彼女はこの後仕事に行く。制服を着ていたから分かる。本当にありがたかった

忙しい中私の具合を心配して、朝からスープを作って届けてくれる、そんな友達がいてくれて、私は幸せだ!と心から思えた。吐いても痛くても、乗り越えよう!それが私にできるご恩返しだ。

この後5日間ほど吐き気は続いた。感覚はだんだんと延びていったけれど、ほとんど食べられなかった。お水も苦く感じてしまうので、これまでは飲めなかったコーヒーを甘くして飲んだら意外に飲めた。


アン君のお散歩は朝と夜の2回するのだけれど、投与から2日目までは朝は主人がしてくれて、夜はスープを持ってきてくれたNさんやご近所の犬友達に付き添ってもらって、どうにか5分くらいのお散歩ができた。

アン君にも寂しい思いをさせてしまって、申し訳ないね、とあやまっておいた。たくさんの方が闘病を助けてくれた。
感謝に尽きる。

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夕方のお散歩!

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昨日の午後7時近くにいつもの真鶴の海辺をお散歩して、大好きな犬用のジャーキーを主人からもらっています。

アン君はフジツボやカラス貝が大好きで、人の目を盗んで拾い食いをするんです、、、。それで若い頃はよく下痢を起こして動物病院でお注射!なんてことが何度もあったので、お散歩中は私たち人間も気が抜けません!

海辺なので腐ったお魚も落ちていることがあって、そういうのも大好きだから、「パクっ」と行きそうになるのを「だめだよ!ペッして!!」というと、しぶしぶ本当に「ペッ」と口から出すんです(笑)これも芸の1つですかね?

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1回目の抗がん剤CEF投与が終わってから。

点滴ルームの看護師さんのご配慮のおかげですぐに会計を済ませた。およそ32,000円抗がん剤や、自宅で必ず飲まなくてはならないお薬や血液検査の合計だ。

生命保険に入ってはいるものの、すぐには給付金が入金されないので、とても不安になった。(少し母に助けてもらった…。)


「吐いても構わないから、食べたいものを食べられる時になるべく食べてね。」と点滴ルームの看護師さんがアドバイスしてくれたし、主治医のI先生も「ダイエットはしないでね。」と言っていたので、主人と一緒に病院内のレストランに行ってお昼ごはんを食べることにした。

たしか、私はうどんを頂いたと思う。この時から何だかフラフラして、ムカムカが始まっていたけれど、頑張って食べた。それから主人の運転で無事に自宅に帰ってきた。


すぐにパジャマに着替えて布団に入った。帰り際に主人にも看護師さんが声をかけてくれた。「奥さんね、これから『つわる』から、よろしくね。」この言葉がとてもありがたくて覚悟もできた。

私たちには子供がいないので、『つわる』という症状は経験が無いけれど、理解はできたので、なるべく横になっていた。というか、もう具合が悪くなってきたのだ。


午後6時半ごろから、吐き気は襲ってきた。お昼に食べたうどんも少し吐いた。30分おきにトイレに駆け込み胃液も全て吐いた。

夜中11時半ごろ、間に合わなくてお布団を汚してしまった。主人は「リビングに座っていな。」と言ってシーツや毛布など、洗濯機を使ったりドライヤーをかけたりしてきれいにしてくれた。

しかし、私はあまりの苦しさに耐えかねて病院に電話をしていた。覚悟はしていてもパニックを起こしのだと今では冷静に思える。

呼吸は速くなっているし、吐き気止めの飲み薬も全く効果が無い。病院の夜勤の看護師さんには「副作用なので、我慢して下さい。」と予想通りの言葉が返ってきた。

午前中にお世話になった看護師長のSさんには「辛かったら夜中でも電話してね。」と優しい言葉を頂いていたので、つい電話したのだけれど、やっぱり「耐える」しかなかった。

それから主人がきれいにしてくれた布団の中に入っていると、右のシコリのあたりに「ピリピリ!」という痛みを感じたのだ

まるで、幼い頃すっころんでお母さんに赤チンを塗ってもらった後に感じるような痛みだ。

思わず隣で眠っている主人を起こして「ねえねえ、抗がん剤が効いてる実感があるよ」と知らせた。寝ぼけながらも「うんうん…。」とうなづいてくれた。

それ以降も夜明けまで吐き気は続いたけれど、パニックは収まって希望がわいてきた。

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点滴ルームのこと。

先ずは吐き気止めの点滴が始まる。ここで初めて知ったことがある。点滴の体内に流す時間というものが決まっているのだということだ。

看護師さんがこの吐き気止めの点滴の袋に開始時刻をマジックで書いているので何気なく質問してみたら、丁寧に教えてくれた。

「これは15分で落とすことになっているの。その後いよいよCEFという抗がん剤を順番に落とすんだけど、それにも目安にする時間が決められているのよ。」

「へええ!初めて知ったよ!」

吐き気止めの点滴の次に真っ赤で小さな袋に入ったお薬が副作用が強いとされているもので、確か5分だったと思う。(この副作用はすぐには現れない。5~6時間後に吐き気が出始まる。)

この時の看護師さんはすごく慎重になっていた。「腕はしびれていない?洩れたら皮膚を傷めるお薬だから、気になることがあったら、すぐに遠慮しないで教えてね。」と言うとしばらく傍にいてくれた。とても心強かった。


「いよいよがん患者デビューだ、、、。どうか良く効いてくれますように!お姉さん、一緒にいてくれて、ありがとう!頑張るからね」と看護師さんにお礼を言った。

その後も2人の看護師さんがさりげなく声をかけてくれたので、孤独感はなかった。


その後透明なお薬に変わってだいたい45分を目安にされた。私の血管が細いせいか、1時間近くかかった。最後に15分かけて流すお薬があり、それは順調に流れた。

点滴ルームにいた時間はトータルでおよそ2時間くらいだろうか。



「抗がん剤を投与された患者さんの会計は、すぐに帰れるようにしてあるから。総合受付のフロアーで待たないでね。感染症とか気を付けてもらうための処置だからね。」と針を外してもらいながら教えてもらった。なんて優しいんだろう!!

ここまで配慮してもらっているんだから、頑張ろう!と心から思えた。

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正直な思い。

先日、日本の男子バレーボールの試合をテレビで応援しながら色々と考えました。

昨年は乳がんの治療を受けていて、バレーの試合を男女ともに応援すると同時に自分にも重ね合わせていました。

選手の皆さんがひたすらにボールを見つめて心を1つにして勝ち進んでいるのを見ていて涙が溢れてきました。たとえ負けてしまう試合でも、「一生懸命」な思いがテレビを通しても伝わってきたのです。

本当は試合会場に行って応援したかったのですが、抗がん剤投与中だったので、白血球の減少もあり、人込みを避けていたのです。

今回の試合は『応援に行きたい!』と強く思ったのですが、体調がまだ不安定で、テレビの前で拍手をして応援していました。

昨年ある試合の後のインタビューを石島選手が受けていて、「テレビの前で応援して下さっている方もありがおうございます!」とコメントしてくれたのが、とっても嬉しかった石島選手の優しさが伝わりました。


アナウンサーや解説者の方が「4年後のオリンピックを目指して!」と何回か言われているのを聞いていて「私は4年後のオリンピックの時に元気でいるかな?生きているかな?」と率直に自問自答していたんですよね。


趣味でピアノを習っているのですが、先生が「弱気な言葉を必ず否定して下さいね(^∇^)誰でも弱音を吐くけれど、その後すぐ『私は大丈夫!』と思ってください。」とアドバイスして下さいました。それを実践しています。

だから、4年後の男子バレーボール(女子もね)を試合会場に行って大きな声援を送ります!


選手の皆さん、監督さん、スタッフの皆さん、今回も感動をありがとう 応援していますからね!

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昨年の今日、退院しました。

皆さん、こんばんは!このブログを読んで下ってありがとうございます!闘病記として始めたブログですが、日常のことも交えて書いているので「闘病記」としては読みにくいと思います。ごめんなさいね。

今日は全身がだるくて、手足のしびれも悪化していてつい忘れそうになっていたんですが、乳がんの手術を終えて、昨年の今日に退院したことをさっき思い出しました。

苦しかったことを「忘れる」くらいに元気になったんだと、今日も「幸せ」を感じられました本当にありがたいです。

最近、私の近辺に乳がんの患者さんが増えていて驚いています。『16人に1人は乳がんを発病する』というデータを耳にしていましたが、実際はそれ以上かもしれませんね。

だからこそ、お互いをいたわり、支え合う気持ちがとても大切な時代を迎えているのだと強く感じています。

どんな病気も「早期発見・早期治療」が重要な位置を占めていることは言うまでも無いことかもしれません。でも、周りの人が「病気を理解する」ことも病気と向き合う人にとって、とっても大切であることも、声を大にしてお伝えしたいのです。


東日本大震災以降、「日本人の優しさ・強さ」などが世界中で評価された時に私は抗がん剤治療中で被災者の方々に何1つ貢献できませんでした。自分が情けなくて、申し訳なさでいっぱいになりました。

その分きちんと病気と向き合って元気になって、少しでも皆さんに追いつこう!と踏ん張りました。今も同じ思いでいます。

『人間』としても闘病によって少しは成長できたかな、と思っていますが、なかなか社会への貢献とまではいきません。でも、あきらめず、無理をせず、踏ん張ることで、いつか「光」が差し込んでくると信じていめす。

皆さん一緒に手をつないで「優しさ・強さ」を力にしていきましょう!

どうぞ、これからも宜しくお願いします!!

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紫陽花!

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棚田が広がる道端に咲いていました。

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きれいな青空です!

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今日は下田までドライブしてきました!久しぶりに素敵な青空を見上げたので、車の中から撮ってみました

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応援宜しくお願いします!

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いよいよ抗がん剤投与!

点滴ルームに入ると3人の看護師さんがいらした。その中に何と、初診のエコー監査・組織検査の時にお世話になった看護士長さんが笑顔でいてくれた!Sさんという。

「おはよう!I先生がまっちゃんが来てるっていうからさ。どう?気持ちの覚悟はできてる?」と聞かれた。

「来てくれて、とっても心強いよ抗がん剤を見方だと思っているの。頑張るのでよろしくお願いします!」と笑顔で答えた。

「えらいね。こういう患者さんばかりだとこちらも助かるのよ。この部屋にきても、抗がん剤を嫌だとだだをこねる患者さんもいるから。一緒に頑張ろうね!」と言って私の手を握ってくれた。

本当にありがたくて、今これを思い出しても涙が出る。

そんな中準備が始まった。まずは体温や血圧を測る。この時点で37.4度の熱があってSさんは驚いていた。

さらに初診の頃からずっと席が止まらなくて「ゲホゲホ」していたので、「その席はいつから?」とても心配そうだった。肺に転移しているのかも、と思われたらしい。


そこにI先生が登場。「先生、この子席がずっと続いていて熱も37.4度あるのよ。」とSさんが報告をすると、「血液検査もCTも異常は無いから大丈夫。点滴をやっちゃおう。」と自信を持って判断して下さった。


「ああ、席は心配しなくて良いんだ。肺に転移はしてないんだ!良かった!」心から安心できた。

右腕を圧迫して「ちょっと腕を回すね~。ここにしよう。ちょっとチクッてするよ~。はい、終わり。」あっという間に針が刺さった。(私は血管が細いのです…)「ありがとうございます。頑張ります!」

I先生は私が極度の怖がりなのを覚えていて下さって、ちゃんと?3歳児のように扱ってくれた!医師を信頼できる大切な瞬間がこの後も何度もあった。

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