
みなさん、こんばんは~!
昨日でクリスマスムードは幕を閉じて、
職場の雰囲気はお正月モード全開です^^
いきなりお節料理の材料とか、かまぼことか
お餅とか海苔などが、いつもはお漬物やキムチ、
生麵が置かれている場所にずらーーー!っと
綺麗に陳列されていて、日本人として
気持ちが自然に引き締まります

それなもんで、っていうのも不思議なんですが、
今日は、まっちゃんが乳がんを発病してから
考え方がどう変化したか、
自分の価値をアン君にしか見出せていなかった
発病前の 「私」 から 「まっちゃん」 へと
自分としては 「成長」 をしてきたか、
少しだけ振り返ってみようと思います(^^)
主治医の先生と出会え、
「今日、勇気を出してよく病院に来てくれたね^^
僕が助けてあげる!」 という今でも宝物にしている
お言葉を言って頂けたこと、 そして看護師長さんが
初診で一人で告知を受けた 松下 裕子 に
出来る限りの配慮をして下さり、エコー検査を
しながらの細胞診から、ずっと付き添って、手を
繋いで歩いて下さった時。
この初診の日から、ショックではありましたが
「治療から逃げたらダメだ。」
という気持ちでした。
どんなに わめいても、叫んでもみっともなくても
この病院で治療を受けて、元気になろう!
そう思いました。
初診から抗がん剤治療スタートまで
2週間というスピーディーな展開だったのも
怖がりな 私には救いでした。
色々と考える隙間が無かったんですね。
そして、治療方法を選ぶことから
「決断力」 を自分から引き出す必要性が出てきます。
この 「決断力」 と同時に例えば 「同意書」 を
頻繁に書くでしょ^^ 治療の途中や検査、手術の時とかね?
それを繰り返すうちに
「決断力」 プラス 「責任」 という文字が
何となくだけど覆いかぶさってきました。
「自分で決断したことに責任を持つ。」 という
シンプルだけど、実践するのは勇気が必要だったり
怖かったりします。
これを闘病では繰り返します。
そのうちに、 「生きることにも同じ事が言えるんだなぁ。」
という風に感じるようになりました。(43歳でw)
これまでの人生も、けして無責任に生きていた訳では
ないんですが、どこかで自分を責めたり、
それは鏡となって、他者を責めていることに
気付かなかったんです。
抗がん剤治療を受け始めて数日経って
副作用に落ち着きが出てきた頃、ふと
心の中に浸み込んできたんです。
そこから 「自分を愛することが、他者を愛することに
繋がるんだ。」 という考えに辿り着いて、
気持ちがとっても楽になったのを今でもハッキリと
覚えています。
この考え方を心の中の芯に置いて
今も色んな問題に向き合っています。
これまで不得意だった 「自分を労ったり、褒める。」 という
訓練を闘病中にしていました(^^)
だから、ブログでお話させて頂くとき、時々
「グッジョブ

これね、すっごく心が軽くなって肩こりも
治るの

そして、 「乳がん患者である」 ことを
隠さないで生きると決めた事も
誰に勧められたわけでもなく、自分で決断したことだから、
それに 付随する色んな事も背負って生きると
決めました。
就労問題に関しても、最終的には自分で決断し、
団体交渉に踏み切り、和解をする と決断しました。
その決断に他者を介在させていないので、
気持ちにブレが出ないんですね

グッと踏ん張る必要がある瞬間も多々あったけれど
今はそういう瞬間が激減しました!
いつも 真っ直ぐに前を見据える 「まっちゃん」 で
いられるように なりました^^
それは、沢山の勇気を必要としましたが、
みなさんが力を貸してくださり、心が折れそうな時は
優しく包み込んでくださったからです

今日ね、職場で
「体調はどう? とても元気そうで安心したわぁ^^」 って
久しぶりにお会いしたお客様の数名に
お声をかけて頂けたんです

この瞬間があるのは、とりもなおさず
みなさんのお陰なんです

「自分を晒す」 という行為、言動には
時には苦しい気持ちを伴ないますが、
それに勝る たくさんの 「温もり」 を感じます。
常にみなさんの暖かいお気持ちを感じながら
過ごせることに、心から感謝します(感涙)
「まっちゃん」 と出会って下さって、
本当にありがとうございます


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