

みなさん、こんばんは~!
今日は、まっちゃんのママが80歳を迎えました。
本来なら直接お花をプレゼントしに
豊島園まで飛んで行きたい所ですが、
まっちゃんが元気に働いている姿をいつも
安心感を抱き、ここまで回復しているんだと
喜んでくれるのを知っているので、明日も元気に
仕事ができるように、今日はじっと真鶴で体力温存
していました(^^)
昨年フミさん(昨日からセンター試験の応援に忙しい夫w)
が撮影したバラちゃんの写真で許してもらおうと
思います

昭和10年1月18日生まれの母は、
上に2人の兄、下に3人の妹を持つ6人兄妹の長女として
まっちゃんの祖母の子育てを手伝いながら
幼少時代の殆どを過ごしたそうです。
母の背中には常に妹の誰かを背負って
自分の事よりも家族の事を優先させて生きてきた
ので、結婚してからも、そういった価値観はずっと
変わらずに、子供であるまっちゃんや、まっちゃんの妹へと
愛情は注がれました。
特にまっちゃんは 「最初の子供」なので、
妹にはいつも羨ましいと言われるんですが、
幼少期の写真の数は 「お姉ちゃんの方が断然多い!」ってことだし
小学生に上がると同時に発生した 「いじめ」 の問題も
あって、いつも心配ばかりかけてきました。
そして、ある時見つけた 母の日記。
「裕子が初めて笑った。」
「裕子が初めて話した。」
「裕子が初めて電話口でパパを認識した。」
4月28日にまっちゃんは長野県で生まれて
3ヶ月後の夏に練馬に帰って来て早々に
風邪をこじらせて、3ヶ月ほど下痢、発熱などが
続いて毎日3回の注射を近所のお医者様に足の付け根に
打って貰って命が助かったそうです。
そういった事からも、母はとても大切に
まっちゃんを育ててくれました。
人間にとって、何が大切なことなのか、
長い時間をかけて今でも教えてくれます。
真っ直ぐ生きることが、信頼へとつながること。
継続することが、必ず役に立つということ。
感謝の気持ちを忘れないこと。
自分を信じること。
闘病を体験することによって、改めて強く感じた
こういった芯を、幼少期に母から
身をもって潜在的には埋め込まれていたと
思いました。
まっちゃんが結婚してから4年後に
子宮を全摘出することになって
手術が無事に済んだ夜、フミさんと帰る道の中
「子供が生めない身体になってしまって、
ごめんなさいね。」 と静かにフミさんに
謝ってくれたそうです。
フミさんが後になって言いました。
「あの時裕子のお母さんに謝られた瞬間、
フミさんは悲しかった。」
「痛い思い、辛い思いをさせてしまう身体に生んでしまって
ごめんね。」 と、まっちゃんにも言ったから
それは違うよ! お母さんが謝る必要はまったくないよ!!
そう叫びました。
乳がんを発病した時も、涙をこらえながら
同じ事を言われたのを覚えています。
子宮全摘出、乳がん両方の手術が終わるまで
病院に駆けつけ、待っていて、麻酔から覚める
まっちゃんの手を必ずギュッと握ってくれました。
「良く頑張ったね。」 って優しく言う声に
とっても安心したのを覚えています。
母としての思いは、どれだけ深いのか、
痛感した瞬間でもありました。
そういった愛情が注がれているから、
つらい治療も、悲しい暴言(就労問題)も、向き合えたんだと
感じています。
そういう母から生まれたことに誇りを持って
生きよう!
この愛情を無駄にしないように。
お母さん、お誕生日おめでとう


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