

みなさん、こんにちは~!
これは、アン君が5歳くらいかなぁ?
お腹を出して、安心しきっている姿が
まっちゃんは大好きです

今日も、アン君の体調は安定していて
元気に歩いてくれています^^
アン君の部屋のドアを開けると
ピアノの下にいつもアン君は居て、
そこから顔を上げているのが分かると
すっごくホッとします。
そして、自力で立ち上がってくれるだけで
嬉しい

エレベーターの中で、「おか!(おかわり)」 をしてくれると
元気率がかなり上なので、安心感が増します(^^)
昨日の夜、東京のママに電話をして
アン君の体調が悪くなったことを話したんですね。
すると、
「アン君に点滴をしているのは、無理して生かしているという
このじゃないの? アン君は余計に辛いんじゃないの?」
という言葉を聞くことになり、以前にも説明はしているけど
改めて点滴の効果、意味を説明しました。
「アン君に点滴をしなくなると、腎不全を悪化させて
もの凄く苦しませることになる。
アン君が苦しまないための点滴なんだよ!」 と
言ったんですが、理解してもらえませんでした。
「理解」 というのは、その効果とか、点滴の意図は
理解してくれたんですが、
「点滴を続行する」ことに、納得がいかないようだったという
意味ですね。
きっと、まっちゃんの 声 がいつもと違っていて
悲しそうだったから、親として、娘の心を一番に
考えるという姿勢から出た言葉だったと
今は思えるんですが、昨日からさっきまで、
アン君への思いを共有してもらえないという
寂しさで、心が重たかったんです。
親子でも、生きている間に色んな体験を経て
価値観を築き上げますよね。
当然ながら、全く同じ価値観を子供は
引き継がないので、こういった価値観の相違は
大人になるにつれて多くなりました。
「生命」 への思いは特に顕著に出るんですね。
そして、アン君に対する思いも、
自然なことではあるかも知れませんが、
異なります。
「点滴を止めたら?」 って言われても、
絶対に頷けません!
それは、まっちゃんが乳がんの治療に
抗がん剤という点滴治療を受けている時に
「それ、止めたら?」 って言われるのと
同じだからです!
アン君への点滴は、根治を目指す治療ではなくて、延命だという
色合いは異なりますが、
「命の灯火を消さない」 という点では
変わらないと思っているからです。
もしも、まっちゃんが主治医の先生からの
治療計画を拒否していたら、
間違いなく今、みなさんと出会っていません。
ブログという世界に辿り着けなかったという意味も
含めて。
「飼い主」として最後まで責任を
果たすのが、まっちゃんの役割です。
アン君と、ペットショップで出会って
まっちゃんの腕に抱かせてもらった時の
気持ちを、今でも守っています。
「よろしくねぇ


アン君には何度も寂しい思いをさせました。
入院、手術でお泊りさせてしまったり、
結婚してからの旅行で、お泊りさせてしまったり。
フミさん(アン君の様子をメールで聞いてくれる夫) と
大喧嘩をした時、一人で家を空けてしまい、
寂しい思いをさせてしまったこと、数回あります。
その都度、そんな まっちゃんを許してくれる
(アン君が理不尽だ!って思う時は前足で蹴飛ばされましたw
ちゃんと、理解してるんですよね。 人間の世界で起こっていることが。
フミさんが悪い時は、フミさんを後方から体当たりして
転ばせたり、膝カックンしてこけさせますw)
愛しいアン君との時間を、
出来る限り穏やかに、笑顔で過ごす事を
改めてここに誓います


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