
みなさん、こんばんは~!
今朝の真鶴町は、雨が降っていて
大雨注意報も発令されていたので歩いて
職場まで行きました

あと少しで職場が見えてくる辺りで
ふと、
「あ、今日はお父さんの命日だ。」 って
思い出したんですね。
沈丁花の香りが漂い始めていて
妹が意識不明の父に泣きながら
「お父さん、沈丁花が咲いてるよ。」って
語り掛けていたのを今でもよく覚えています。
今から20年以上前に父が前立腺がんを
患い、58歳という年齢で発病するのは
進行が速いと、主治医の先生から母には
説明があったそうです。
当時は患者本人に 「告知」 をするのにも
最初に家族が病院に呼ばれて、
本人に告げるかどうかを決めて、
そこから数日置いて、父に先生から告げて頂きました。
当時勤めていた銀行が、父の病院の
緊急連絡先となっていたので、検査結果が出てすぐに
連絡が来たのは、まっちゃんの職場でした。
「先生がお母様にお話があるそうなので
病院に来るようにお母様にお伝え下さい。
お父様には内緒にしておいて下さい。」 という
看護婦さんのお声を聞いて
「ああ、悪性だったんだな。」 と思いました。
父に告知するまでの数日間、何も知らない素振りを
お見舞いに行くと続けていました。
その数日間がとっても辛かったですねぇ。。
「裕子、検査結果まだ出ないのかなぁ?」
「お父さん、ガンじゃないと思うんだ。」 と
小さな声で話しかけて来る父の顔を
今でも覚えています。
そんな体験を経て、まっちゃんが乳がんを
発病した時、初診の日に患者となった
まっちゃんに 先生は告知をして下さり
精神的な打撃を受けたまっちゃんを
優しく立ち直らせて、頑張ろうねと
目で語って下さいました。
そのスピーディーなご対応のお陰で
初診から2週間後には抗がん剤治療を
始めることが出来ました。
父の場合は抗がん剤ではなくて
ホルモン剤の点滴治療を受けたんですが
そのスタートも、告知をするか否かで数日悩み、
そのまた数日後に告知したりと、治療を始めるまでに
けっこう日数、時間がかかっていました。
初診の日の告知は、とってもショックでしたが、
あの日、勇気を出して病院に足を踏み入れたから
今こうしてみなさんと出会うことが出来ているんですよね^^
62歳の誕生日を待たずに
天国へと旅立った父の分も、
この命を大切に、誠実に生きようと
思います。
おとうさーーーん!
アン君と一緒にいるかな?
見ててね

ファイティーーーーン


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